ロバのパン岐阜
終戦後の馬車を使った移動販売のパン屋さん。 ロバのパンの歴史
創 業者 桑原貞吉は明治34年(1901)1月10日、岐阜県の揖斐郡の谷汲村で生まれた。
7人兄弟の末っ子である。10歳で母を亡くし、その後は兄一家に育てられた。
尋常高等学校を卒業後、近所に住む親戚の、饅頭屋に丁稚奉公する。 パン作りはこの頃に習得した。蒸しパン作りと饅頭は製法がほとんど同じである。
売 り方も独特で、音楽をセールに活用した。
貞吉は大正琴が得意で、饅頭の行商の時も楽器を持って歩いた。
また西国観音巡礼の最後の札所、谷汲山華厳寺の祭りには、昔のラッパ型の蓄音機を鳴らして販売した。
音楽が客を引きつける事に着目した、日本でも初期の例であろう。
大 正15年に父を亡くしたのを契機に京都にでた貞吉は、 開業した運送屋を廃業し、断ち切れなかった饅頭の思いを募らせ、 昭和初めに饅頭屋を開店。
開店したばかりの貞吉は、懇意にしていたパン・饅頭屋から、その店でしか作れなかった皮のはじけるパンの作り方を秘伝してもらう。アンを入れると上手くはじけなかったけど、それも克服し、重曹の匂いの抜けた独特の旨味のでるパンに改良を重ねていった。
改 良を加えたはじける、上手いパンの秘密は「パンの素」と呼ぶ粉にあった。この粉を使えば、フワフワと柔らかく、口当たりがよかった。また卵をほとんど入れていないのに、プーンと卵の香りまでする、文字通り魔法の粉である。京都の駄菓子屋へのパンの卸しに励む一方で、貞吉は全国を歩いてチェーン店を募った。社名は昭和6年より「ビタミンパン連 鎖店本部」とした。昨今流行のフランチャイズチェーンの走りである。
そして戦争、終戦を経て、昭和26年に京都で一旦廃業したパン屋を開業。
戦前に付き合いのあった代理店にも声をかけ、昭和28年春頃には、新旧合わせて約50軒の代理店との取引にまで回復した。